** ひきこもり研究の視点と当事者との関わり**
ロザリン・ヨンは、公衆衛生学と精神衛生学を専門とし、ひきこもりの研究を行っている。精神科医や臨床心理士ではなく、カウンセリングを提供する立場にはない。研究の目的は、ひきこもりの社会的理解を深め、科学的根拠に基づいた支援策を検討することであり、当事者が直面する社会構造や家族関係、地域資源の影響を明らかにすることに重点を置いている。
研究活動の中で当事者の話を聞く機会は多く、その方法は「傾聴」に近いものとなる。これまで誰にも話せなかったことを言葉にすることで、気持ちを整理し、自己理解が深まることがある。この過程を通じて、状況の改善につながるケースも少なくない。
**「ふらっと」の設立背景と目的**
「ふらっと」は、支援者と利用者の間にある壁をなくし、精神疾患を主な原因としないひきこもりに対応するために設立された。医療的な治療を前提とせず、当事者が安心して過ごし、主体的に関われる場を提供することを目的としている。イベントや活動を通じて、自然な形で社会とのつながりを促すことも重視している。支援者も固定された役割にとらわれず、対等な立場で関わることを目指している。
**「ふらっと」の特徴**
「ふらっと」は、自分のことや状況を整理したいひきこもり者の相談の場であり、次の一歩を踏み出すための自立支援のサポートや居場所として適した場である。
この場は、ひきこもり当事者が安心して過ごし、主体的に関われる環境を整えることを目的とする。これまで話せなかったことを安心して言葉にできる場であり、他者と関わりながら少しずつ社会とのつながりを取り戻すことを目指している。
また、「ふらっと」では、利用者が次の一歩を考え、必要な支援を受けながら、自立へのステップを踏むことができるようサポートする。社会参加の準備段階として、無理のないペースで自己理解を深め、周囲との関係を築いていくことを大切にしている。
**「ふらっと」は、ひきこもりを「治す」ことを目的とした場ではない**
「ふらっと」は、ひきこもりを「治す」ことを目的としていない。 ひきこもり自体を悪いことと捉えているわけではなく、無理に「ひきこもり状態から脱すること」を求める場でもない。
しかし、ひきこもり当事者の多くは、自分のことを受け入れるのが難しいと感じている。 「ふらっと」は、そうした人が自分を知り、状況を整理し、自己受容につながるよう手助けする場でもある。
「ふらっと」では、自分のことをより深く理解し、状況を整理することで、客観的に自分を見つめる機会を提供する。 その過程で、「自分はダメだ」と否定し続けるのではなく、自分を受け入れられるようになることが多くある。
変化を強制することはありませんが、自分自身と向き合う時間を持つことで、少しずつ気持ちや行動が変わっていくこともある。 そして、その積み重ねの中で、結果としてひきこもりの状態が自然に変化していくこともある。
**「ふらっと」に適する人と適さない人**
「ふらっと」は、自分のことがわからない、理解できないと感じている人や、状況を整理したいと考えているひきこもり当事者に適した場である。
ひきこもりの状態にあると、自分の気持ちや状況を整理することが難しくなることがある。「ふらっと」は、そのような人が安心して話し、自分の内面を少しずつ見つめ直せる環境を提供する場である。無理に変わることを求めたり、急かしたりすることはないが、「ただそこにいる」だけでなく、自分自身の状況を考える時間を持つことが大切になる。
一方で、次のような人には適していない可能性がある。
✅ **「気晴らしとして話を聞いてもらうこと」だけを求める人**
- ひたすら愚痴を吐き出すことが目的になり、自ら状況を整理しようとしない場合、「ふらっと」の環境は適していない。
✅ **「他者を操作しようとする傾向がある人(Manipulation傾向の強い人)」**
- 自分の要求を通すために周囲の人を意図的にコントロールしようとする人、または相手を罪悪感で縛るような関わり方をする人には適していない。
- 「ふらっと」は対等な関係性を大切にする場であり、特定の人が支援者や他の利用者を精神的に支配するような関係性は望ましくない。
✅ **「感情をすべて自由に発散することが当然だと考える人」**
- 「ふらっと」は、安心して自分の気持ちを整理し、言葉にできる場である。しかし、すべての感情をそのままぶつけることを前提とした場ではない。
- ひきこもりの中には、感情を抑え込みすぎてしまい苦しんでいる人や、他者への影響を考えすぎて動けなくなっている人も多い。「ふらっと」では、そのような人が安心して気持ちを整理し、少しずつ自分の感情との向き合い方を見つけられる環境を提供している。
- ただし、自分の感情を無条件に受け入れられることを前提にし、他者との関わりを顧みることなく一方的に感情を発散する場を求める場合、「ふらっと」は適していない。他者との関係性を大切にしながら、自分の気持ちと向き合う姿勢が求められる。
**研究と支援の関係性** (修正)
ひきこもり支援には多様な視点が求められ、現場で積み重ねられた知見を実践に活かすことで、より効果的な支援が可能となる。また、支援の過程そのものが、当事者にとって新たな気づきや社会との接点となり、状態の改善や生きやすさの向上につながる場合がある。特に、当事者が自らのことを語り、聴かれる経験は、心理的負担の軽減や自分自身への理解につながる重要な営みである。
ここで言う「研究」とは、学術論文のためのデータ収集・分析ではなく、日々の実践において、当事者と支援者が共に「どのように支援を行うか」「どのような場を作るか」を探求するプロセスを指す。すなわち、当事者が自身の人生や課題について探索的に考える機会となり、自らのペースで自分自身を理解していく過程である。
「ふらっと」は、このような実践的・探索的な営みを支える場であり、単なる受け入れの場ではなく、相互の関係性のなかで、当事者自身が主導権を持ち、時に支援者や仲間を教える立場にもなるような、**「変化を生み出す場」**として大切に運営されている。
**「ふらっと」に適さない場合も、他の居場所がある**
「ふらっと」は、自分の気持ちや状況を整理し、これまで言葉にできなかったことを安心して話せる場。しかし、人によっては「ふらっと」よりも、他の場のほうが合う場合もある。
例えば、
- 「とにかく話を聞いてもらいたい」「思ったことを遠慮なく発散したい」 という人には、他の対話の場や傾聴の場のほうが向いているかもしれない。
- 「支援者と対等に関わるよりも、一方的にサポートを受けたい」 という人には、専門的な相談機関や支援団体が適している可能性がある。
- 「自分の気持ちに向き合うよりも、まずは何か具体的な行動を始めたい」 という人には、ラボのワークショップや活動の場が合うかもしれない。
秋田ひきこもりラボでは、さまざまな当事者、家族、支援者が集まり、それぞれの特徴を活かしながら支援につながる場を提供している。「ふらっと」とは異なるアプローチが必要な人にとって、新たなつながりを見つけるきっかけになるかもしれない。
また、「今ある場に自分が合うかどうか分からない」と感じている人でも、ラボの活動を通じて、自分に合う仲間と出会い、新しいグループを作ることができる可能性もある。
**結論**
「ふらっと」に合わないと感じたとしても、それは「どこにも居場所がない」ということではない。自分に合った環境を見つけたり、自分のペースで関わり方を考えたりすることが大切。
「ふらっと」が合う人も、そうでない人も、それぞれが安心できる場を見つけられることを願っている。
※本記事は特定の個人や過去に関わった方々を指すものではありません。「ふらっと」の特徴や大切にしている考え方について、広くご理解いただくために作成されたものです。
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