教室、ぽろっと、ふらっとの日常体験。
明日、ふらっとで本番!
5人の中に、グルメが何人いるのか…。
🍝 イタリアパスタを作ってもらいます。
しかも、そのグルメの中に1人、ティラミスのふるさと育ちが。
我がふらっとのティラミス、厳しく評価してもらう予定です(汗)。
ちなみに今朝、嶋田ハムを出してみたら、
イタリア人が口に入れた瞬間、「美味しい!」とイタリア語でびっくり。
さて明日、わがティラミスは何点をつけられるのか…。
ドキドキしながら、でもワクワクしています。
教室、ぽろっと、ふらっとの日常体験。
明日、ふらっとで本番!
5人の中に、グルメが何人いるのか…。
🍝 イタリアパスタを作ってもらいます。
しかも、そのグルメの中に1人、ティラミスのふるさと育ちが。
我がふらっとのティラミス、厳しく評価してもらう予定です(汗)。
ちなみに今朝、嶋田ハムを出してみたら、
イタリア人が口に入れた瞬間、「美味しい!」とイタリア語でびっくり。
さて明日、わがティラミスは何点をつけられるのか…。
ドキドキしながら、でもワクワクしています。
いよいよ!
イタリア精神科医との交流会の初日は、秋田大学本道キャンパス医学部第2会議室。
主催:地域心身医療学講座
令和7年4月22日(火)18時~20時 お待ちしております!
2021年、私は公益財団法人社会貢献支援財団の第56回社会貢献者表彰をいただきました。
その後も財団の皆さまには、さまざまな場面であたたかく見守っていただき、今日に至るまで大変お世話になっております。
ふらっとの姉妹的な取り組みとして立ち上げた**「ぽろっと」**の設立時にも、励ましの言葉とともに背中を押していただきました。
その際には、日本財団様から特別賞もいただき、大きな励みと希望となったことを、今でも忘れられません。
そして今回、再びご縁がつながるような出来事が起こります。
私が初めて安倍昭恵様にお会いしたのは、表彰式典の当日でした。
表彰を受け取る瞬間、心臓がどきどきして、手足が少し震えていたのを覚えています。
でもそのとき、安倍様のやわらかな微笑みが私を包み込んでくださいました。
きっと、私の緊張や戸惑いをすぐに察してくださったのだと思います。
その共感のまなざしに、私は安心し、心がふっと軽くなりました。
安倍様は、とても温かく、励ましの力を持つ方だと感じました。
まさか本当にその日が来るとは、今でも信じられない気持ちです。
それは、ふらっとにとって大きな名誉であり、心からの光栄です。
何より嬉しいのは、この訪問に向けて、ふらっとのピアスタッフたちが自分たちで準備を進めてくれていることです。
あの日、一人で緊張していた私が、
今日は仲間たちとともに、誰かを迎える側になっています。
I hope, by simply being ourselves, we can offer her a moment of warmth in return.
(ただ私たちらしくあることで、安倍様の心に、あたたかなひとときを届けることができたら——)
そんなふうに願っています。
ふらっとの皆さん、ぜひ、
いつものように、ゆっくり、ふらっと来てくださいね。
特別な日であっても、
ふらっとは、いつも通り、無理せず、やさしく。
そんな空気のなかで、
また一つ、新しい「ご縁のつながり」が生まれることを楽しみにしています。
――「ふらっと」での日々を見つめて
私たちは、つい「目に見える変化」に注目してしまいがちです。
笑顔が増えた。言葉が出た。活動に参加できた――
それはたしかに、大切なことです。
「ふらっと」では、そうした変化が、奇跡のように現れることがあります。
長くひきこもっていた人が、ある日そっと玄関を開けて入ってくる。
泣きながら相談に来た人が、翌週には誰かに「お茶どうぞ」と声をかける。
人を避け続けていた人が、輪の中でふと笑う。
そのような光景は、日常の中に静かに生まれています。
「ふらっと」は、ひきこもりや人との関わりに悩んできた人たちが、
安心して「ただ、いること」から始められる場所です。
私は、初めてここに来た人たちの姿をよく覚えています。
部屋の隅に静かに座り、周囲に気づかれないように目線を避けていたこと。
声をかけても、表情は硬く、返事がほとんど返ってこなかったこと。
その姿を、無関心とは思いませんでした。
ここに来ようと決めたこと自体が、その人にとって大きな一歩だったと感じています。
「ふらっと」は、何かを話す必要はありません。何かをする必要もありません。
それでも「ここにいていい」と思える時間や空気を、大切にしています。
最近では、「話したくなった」「人と関わりたくなった」「少し変わりたい」
という思いを抱きながら訪れる人も増えてきました。
話すことを目的としていなくても、誰かの声を聞いて、同じ空間にいるだけで、
ふと、話してみようという気持ちが芽生えることがあります。
皆の輪に入りたくなる気持ちが、少しずつ顔を出します。
私は、沈黙の「ふらっと」も好きです。
沈黙の中に、心の葛藤や、言葉にならない模索があると感じています。
そのひとつひとつに耳を澄ませながら、そばにいることを続けてきました。
しばらくすると、小さな笑顔やうなずきが見られるようになります。
そしてある日、「それ、美味しそうですね」と、ぽつりと声が聞こえてきました。
誰かが持ってきたお菓子の話題に、自然と反応した瞬間です。
その言葉は、何かを伝えようとして無理に出したものではなく、
心の中でほどけた何かが、自然に外へ出てきたように感じられました。
人と人が出会うということの、かけがえのない実感がそこにありました。
その一言を、私は「進歩」と呼びたいと思います。
本人にとって、とても大きな、かけがえのない前進です。
ひきこもりの支援は、誰かを変えることでも、何かを引き出すことでもありません。
「このままでも大丈夫」と思えるような空間を、一緒につくっていくことです。
その積み重ねの先に、風が通り抜けるように、小さな変化が訪れます。
たとえば、棚田あおさんは「居場所なんて必要ないと思っていた」と語っています。
けれど今では、「社会の扉を開くことができた」と言います。
その扉は、誰かにこじ開けられたものではありません。
信じてもらえたことで、自分の手で、少しずつ開いたものです。
話せない時間にも、回復は確かに息づいています。
「ふらっと」はそのことを、日々出会う人たちから教わっています。